【号外】深セン日本人学校での男児生徒刺殺事件に思うこと
これまで平和で安全だと信じてきた深センで、今回のような悲劇的な事件が起こるとは、誰が予想できたでしょうか。私たちはこの街を、中央政府の影響から遠く、リベラルで多様性を受け入れる平和な場所と捉えていました。それが、まるで足元の地盤が崩れ落ちるかのように、その平穏なイメージが一瞬で崩れてしまったのです。今回の事件は、単なる一つの悲劇ではなく、私たちが日中関係についてどのように向き合うべきかを考えさせられる大きな課題でもあります。
9月18日、日本でも大きく報じられている通り、深セン日本人学校に通う男子生徒が44歳の中国人男性により刃物で襲われ、命を奪われました。この日は、満州事変(柳条湖事件)が起こった日と重なり、偶然にしても日本人にとって忘れがたい日です。同様に、3ヶ月前の蘇州では、日本人学校のバスが襲撃される事件がありました。その際には、残念ながら日本人ではなく中国の方が命を落としましたが、中国政府はそれを「偶発的な事件」として片付け、「中国は世界で最も安全な国のひとつだ」と主張しました。しかし、現実は違います。
深センに住んで5年になりますが、当初はこの街に対して大きな期待を抱いていました。日本人と中国人が共にビジネスを育み、国籍を問わず共存する街でした。開放的な雰囲気と活気に満ちたこの場所で、私たちはユニコーン企業の誕生や急速な経済発展を目の当たりにし、この街の未来を信じていました。しかし、2020年から始まったゼロコロナ政策によって、人々の自由は大きく制限されました。移動の自由が奪われると、人々は外の世界を知る機会を失い、偏った思想に染まりやすくなります。その結果、今回のような過激な行動に走る人々が増えてしまったのかもしれません。
経済状況が悪化する中で、SNS上では中国のインフルエンサーたちが愛国主義的な過激な内容を発信することが増えました。彼らはフォロワーを増やすために、感情的な投稿や反日的な言動をエスカレートさせています。それに煽られた一部の過激な愛国主義者たちが、現実世界で問題を引き起こすケースも少なくありません。これは、単なるネット上のプロレスのように思えるかもしれませんが、SNS上の「プロレス」が現実の事件に発展することがあるのです。
プロレスは、お互いに相手を攻撃するように見せかけて、実際には致命的な一撃は与えない、エンターテイメントの一種です。しかし、今回の事件はその「プロレス」の枠を超えた、ただの殺人事件です。これを「プロレスの延長」や「偶発的な事件」として片付けることはできません。日本と中国の間で過激な言動や行動がエスカレートしていく中で、私たちがどのように対応すべきか、今一度真剣に考えるべき時期に来ているのです。
過去の反日運動や反日的行動は、しばしばSNS上でのフォロワーを稼ぐためのプロモーション的な側面が強く、実際に大きな影響を与えることは少なかったかもしれません。しかし、今回の事件のように、感情的な過激主義が現実に現れてしまうと、その影響は甚大です。深センという街で、このような事件が起こったことは、日中関係における根深い問題の一端を示しているように思えます。
今、中国では経済の悪化が進み、治安も悪化しています。これは日本がバブル崩壊後に直面した状況と似ています。あの時、日本でも様々な凶悪事件が続発し、社会全体が不安に包まれました。経済が悪化し、社会が不安定になると、攻撃の矛先を外に向けたくなるのは人間の性です。中国政府がその矛先として日本を利用し、反日感情を煽ることが続けば、今回のような事件がまた起こる可能性は十分にあります。
深センは、これまでリベラルな街として知られていましたが、今回の事件はそのイメージを大きく揺るがしました。このような事件が再び起こらないよう、私たちはビジネスにおいても、政治や社会の状況に敏感でなければなりません。プロレス的な言動を超えた現実の問題に対して、私たち一人ひとりが何をすべきか、考える必要があると痛感しています。
私たちはこれまでのように、「ビジネスはビジネス」と割り切り、政治に深く関わらないスタンスを保ちつつも、今後の対応には注意を払わなければなりません。今回の事件は、中国国内の問題だけでなく、日本政府の対応の甘さも問われるべきだと思います。もし、もっと適切な対応がされていたなら、この悲劇は避けられたかもしれません。
中国が経済的に困難な時期にこそ、隣国との協力を深め、互いに利益をもたらす関係を築くことが必要です。しかし、プライドや政治的な思惑がそれを妨げ、結果として無関係な人々が犠牲になることはあってはなりません。今回の事件は、その犠牲がどれほど無意味で悲しいものであるかを痛感させる出来事でした。
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